島崎匡史
jinsei-shippitsu
ふく翁の『人生執筆』
台湾・台中に生まれた一人の少女が、23歳で日本へ渡った。
上下階に二つの家を持ち、二人の母に育てられた幼少期。
厳しさと優しさが入り混じる家庭で、彼女は「信じる力」を覚えた。
90点が当たり前とされた学生時代、
夜は塾という避難所で息をつきながら、「完璧でなくても生きていい」と少しずつ自分を許していく。
やがて、生徒会長、メイドカフェ店員、翻訳学科の学生、
そして日本で働く女性として──
その肩書のすべてを通して、彼女は“自分で立つ”ことを学んでいった。
暴力的な別れを経て、心が折れた日もあった。
けれど、誰も助けてくれない時間の中で彼女が掴んだのは、
「自分を救えるのは、自分」という真理。
ふたつの国を越えて生きるTao Yinan。
彼女の言葉は、いまを生きる私たちに静かに問いかける。
“生きる場所は選べない時もある。でも、どう生きるかは自分で選べる。”