第5話:洞窟のトラ 〜ベンガル民話〜

jinsei-shippitsu

【1】夕暮れの森で

夕方の森。
ホップとミミとムアは、並んで小道を歩いていた。

ホップ
ホップ

ねえ、あの洞(ほら)見てよ!
なんか面白そうじゃない? 中、入ってみようよ!

ホップが指さした先には、大きな岩の裂け目が口を開いている。
ミミは耳をしゅんとさせて、その穴を見つめた。

ミミ
ミミ

だ、大丈夫かな…?
中が暗くて、こわいよ…

ムアは、じっと足元を見た。
岩の前には、獣の足跡がいくつも残っている。

ムア
ムア

ホップ、
お前さ、足跡見えてないのか。
入ってる跡はあるのに、出てる跡がないぞ。

ホップはぴたりと止まり、
自分の足元と洞窟を見比べた。

ホップ
ホップ

……た、たしかに……
じゃあ、中に何かいるってこと?

ミミはますます震えだす。

ミミ
ミミ

ど、どうしよう……
見えないのが一番こわいよ……

そのとき、頭上から落ち着いた声が降ってきた。

フクオウ
フクオウ

ほっほ、
見えぬものほど、よく観る必要があるのぅ。

木の枝に、ふく翁がとまっていた。
三匹はほっとして、ふく翁のもとへ駆け寄る。

ホップ
ホップ

ふく翁じいちゃん!
あの洞窟、なんかやばそうなんだ!

フクオウ
フクオウ

ほっほ。では、よい機会じゃ。
「洞窟の話」をひとつ、聞かせてしんぜよう。

【2】ベンガルの森と、お腹をすかせたトラ

三匹は記憶書庫へ行き、
ふく翁の淹れた“記憶茶”をすすりながら、
古びた一冊の本を囲んだ。

表紙には、細い文字で
「遠い国の物語 ベンガルの森より」と書かれている。

フクオウ
フクオウ

これはな、南アジアのベンガル地域での民話じゃ。
バングラデシュという国で、
わしの友人が子どもの頃、父上から聞いたお話なんじゃ。

ふく翁の声とともに、ページの中の世界が開いていく。

『洞窟のトラ』

むかし、むかし。
遠い国の森に、お腹をすかせた一頭のトラがおった。

ひどくお腹を空かせたトラが、ふらふらと森をさまよっていました。
すると目の前に、大きな洞窟が現れます。

「ここなら、獲物が帰ってくるかもしれない」

トラはそう考え、洞窟の中をのぞきました。
中は空っぽ。けれど、獣の匂いがします。

「ここはキツネの巣穴だな。
ここで待ち伏せして、戻ってきたところを襲ってやろう」

トラは洞窟の暗がりに身をひそめ、
じっと息を殺して待つことにしました。

【3】足跡と、違和感に気づくキツネ

やがて夜になり、洞窟の主であるキツネが帰ってきました。
巣穴の前まで来たキツネは、ふと足元を見て顔をしかめます。

そこには、見慣れない大きな足跡がありました。
洞窟へ入っていく足跡だけが、はっきり残っています。
しかし、外へ出た足跡はどこにもありません。

「おかしいな。
これはトラの足跡だ。
入った跡はあるのに、出た跡がない……」

キツネの背中に、冷たい汗が流れました。
けれど、風で砂の足跡はすぐに消えてしまいそうです。
もう少し迷っているあいだに、跡は消えてしまうかもしれません。

キツネは洞窟の中をじっと見つめながら、考えました。
「中にトラがいるのか、いないのか。
入って確かめるには、危険すぎる。」

キツネはしばらく考え込みます。

ホップ
ホップ

え!キツネはどうしたの!!

ムア
ムア

うるさいホップ!
いまじいさんが話しの途中だろうが!

ミミ
ミミ

キツネさん、食べられちゃうのかな……

フクオウ
フクオウ

ほっほ。
そうじゃな、少しみんなも、
キツネがどうしたか考えてみておくれ。

【4】キツネと洞窟

しばらく考えたあと、
キツネは口の端を少しだけ上げました。

そして、いつも通りの調子で洞窟に声をかけました。

キツネ:「ただいま、洞窟さん。
今日も一日、何か変わったことはなかったかい?」

洞窟の中には、じっと息を潜めたトラがいます。
トラは「絶対に声を出さない」と決めて、黙り込んでいました。

……返事はありません。

キツネは、少し首をかしげたふりをして、
もう一度、声をかけました。

キツネ:「おーい、洞窟さん。聞こえてないのかな。
いつもみたいに教えておくれよ。
『洞窟の中にはだれもいませんよ』って」

洞窟の奥で、トラは目を見開きました。

「この洞窟は、いつもそんなふうに答えるのか?」

トラはぐらり、と心が揺れました。

キツネは、わざと聞こえるように、
少し大きな声で続けます。

キツネ:「おかしいなあ。
この洞窟は、いつも私に
『だれもいませんよ』って教えてくれるのに。
今日は黙ったままだ。
もしかして、中に“誰か”いるのかな?」

――その言葉を聞いたトラは、ついに焦ってしまいました。

「このままではキツネが中に入ってこない。
腹ペコなのに、獲物を逃してしまう!」

トラは、声を変えて洞窟の奥から大声で叫びました。

トラ:「洞窟の中にはだれもいませんよ!!」

その声を聞いた瞬間、
キツネはくるりと背を向けて、全力で走り去りました。

洞窟の中に残されたトラは、
自分が“洞窟のかわりにしゃべってしまった”ことに、ずっとあとになってから気づいたのでした。


【5】記憶書庫で

物語が終わると、
記憶書庫にはしばし静けさが流れた。

ホップ
ホップ

……洞窟ってしゃべらないよね!?
…もしかして、トラさんってお馬鹿さん!?

ホップは目を丸くしている。

ミミ
ミミ

わたしだったら、
「洞窟さんがしゃべるなんて変だな」って思うけど……
それどころじゃないくらい、お腹すいてたのかなぁ……

ムアは腕を組んで、目を細めた。

ムア
ムア

トラが馬鹿なんじゃない。キツネが賢いんだ。
「いつもこの洞窟は、こう返事する」って、キツネはあくまで“設定”として言っただけで、
それをトラに“本当だ”と信じこませたんだ。

フクオウ
フクオウ

ほっほ、みんな考えておるのぉ。

ふく翁は、湯気の立つ記憶茶を一口すすると、
ゆっくりと続けた。

フクオウ
フクオウ

物語や人生から何を学び取るかは、人それぞれじゃ。
みんなが気づいたこと、感じたことは、どれも間違っておらぬよ。

ふく翁は、くすりと笑ってから、
三匹を順に見つめた。

そうしてその夜、
三人は「洞窟のトラ」のお話から感じたことを、
いつまでも語りあったのだった。

ふく翁−フクオウ−
ふく翁−フクオウ−
〜百歳以上の森の賢者〜
Profile
長年さまざまな動物たちの“人生の話”を聞き、本として残してきた語り部。 物語や人生には語り継ぐべき教訓があると信じている。 信念を同じくする “伝記作家” と出会い、 いまは一緒に「世界中の誰もが自分の歴史を残せるようにする」という取り組みを進めている。
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