イソップ寓話

第8話:ホップと、「井戸に落ちた犬」 〜ふく翁の記憶書庫(寓話)〜

jinsei-shippitsu

【1】夕暮れの森と、小さな落とし穴

夕暮れの森。
ホップは、いつものように小道をぴょんぴょん跳ねながら歩いていた。

ホップ
ホップ

ねえねえ!
あの先まで、競争しようよ!

ミミは少しあわてて耳を揺らす。

ミミ
ミミ

ま、待ってホップ……
ここ、根っこが多いから、気をつけたほうが……

ムアは肩をすくめた。

ムア
ムア

おいおい、いつも考える前に走るよな。

その瞬間だった。

ザクッ──!

足元の土が崩れ、ホップは小さな穴にずるりと落ちてしまった。

ホップ
ホップ

うわっ……!

そこは、昔だれかが掘ったまま忘れられた、浅いけれど壁の急な「落とし穴」だった。

【2】手を伸ばすミミ、動けなくなる足

ミミ
ミミ

ホ、ホップ!?
だ、大丈夫……!?

ミミは穴のふちにひざまずき、耳をふるわせながら中をのぞき込んだ。

ホップ
ホップ

う、うん……
ちょっとおしり打ったけど、平気!
でも、登れないや……。

穴の壁はつるつるで、ホップの小さな手では土をつかめない。

ミミはあわてて手を伸ばす。

ミミ
ミミ

ホップ! わ、わたしの手、つかんで……!

しかし、あと少しのところで届かない。
ミミは背伸びをして、つま先をぷるぷるさせながら、さらに腕を伸ばそうとする。

【3】ムアの正論

そこへ、ゆっくりとムアがのぞきこんだ。

ムア
ムア

……なるほどな。古い落とし穴か。
だから言っただろう、走る前に足元を見ろって。

ムアは腕を組んで、いつもの冷静な目つきでホップを見る。

ムア
ムア

こんなところに近づくのが悪い。
根っこも多くて危ないし、「落とし穴があるかもしれない」って、少し考えればわかったはずだ。

ホップは内心「落とし穴があるなんて、分かるわけないじゃないか!」と思いながら、困った顔で笑った。

ホップ
ホップ

う、うん……
それは、そうなんだけどさ……

ミミは、今にも泣き出しそうな声でムアを見上げた。

ミミ
ミミ

ムア……!
怒るのは、あとでもいいから……
今、どうしたらいいか、一緒に考えようよ……!

それでもムアは、すぐには動かない。

ムア
ムア

考えてはいるさ。
ただ、危ない場所に近づいたのはホップだし、考えなしで動いたのもホップだし、悪いのは──

そのとき。

【4】ふく翁のランプの灯り

森の上から、小さな灯りがふわりと降りてきた。

ふく翁が、ランプを下げながら木の枝にとまり、三人を見おろしている。

フクオウ
フクオウ

ほっほ。
ここからでも、ホップの顔がよく見えるのう。

ホップ
ホップ

ふ、ふく翁じいちゃん!
ちょっと落ちただけなんだけどさ……
登れなくて……

ミミは、涙目でふく翁に訴える。

ミミ
ミミ

ふくおうじいさま……!
ホップが、出られないの……!

ムアは、少し気まずそうに目をそらした。

ムア
ムア

……状況を説明していたところだ。

ふく翁は、ムアを見て、やさしく目を細める。

フクオウ
フクオウ

ムアよ。
お主の言うことは、まちがうておらん。
危ない場所を避けるのは、大切な知恵じゃ。

一拍おいて、ランプの灯りを穴の中に向ける。

フクオウ
フクオウ

じゃがのう──
後から見れば正しいことでも、前からは見えない部分もあるんじゃよ。
いま、ホップにいちばん必要なのは、
正しさではなく……
「伸びてくる手」のほうではないかのぉ。

ムアはハッとして、腕をほどいた。

ムア
ムア

……そうか。
悪かった、ホップ。
まずは、出すことが先だな。

ムアは、近くに落ちていた丈夫な枝を拾い、ミミと一緒に穴の中へ差し入れた。

ムア
ムア

ホップ、これにつかまれ!
ミミ、反対側を押さえてくれ!

ホップ
ホップ

う、うん!

ホップは枝をぎゅっとつかみ、
ミミとムアは力を合わせて、ぐいっと引き上げる。

ズルズル……!

やがて、ホップは無事に穴から出て、土の上にごろんと転がった。

ホップ
ホップ

はぁ〜……
助かったぁ〜!

ミミは安堵のあまり、その場でへなへなと座り込む。

ミミ
ミミ

よ、よかったぁ……
ホップ……!

ムアは少し照れくさそうに、ホップの頭をぽんとたたいた。

ムア
ムア

次からは、ちゃんと足元を見ろ。
……それから、俺もすぐに手を貸すようにする。

ふく翁は、ほっほと静かに笑った。

フクオウ
フクオウ

よい、よい。
こうして三人で引き上げたことが、
きっと、よい物語になる。

【5】記憶書庫で聞く、古い物語

その夜。
三人は、森の奥の「記憶書庫」に集まっていた。

棚には、たくさんの本が並び、
ふく翁のランプの灯りが、古い背表紙を金色に照らしている。

ホップ
ホップ

ねえ、ふく翁じいちゃん。
さっきのこと、なんかさ……
ちょっとヘンな気分だったんだ。

ホップは、頭をかきながら言った。

ミミ
ミミ

わたしも……
ムアが言ってることは、たしかに正しいんだけど……
あのときは、胸がきゅってなって……

ムアは、静かに頷く。

ムア
ムア

俺も、あとになってから、
「ああ、まずは引き上げればよかった」と思った。
言うのは簡単だけど、身体は止まってたな。

ふく翁は、ゆっくりと一冊の本を棚から取り出した。
古びた装丁に、小さく文字が記されている。

フクオウ
フクオウ

ほっほ。
ちょうどよい物語が、この書庫にも収めてあっての。

「井戸に落ちた犬」
という、古くから伝わるイソップの話じゃ。

短いお話しじゃが、今のおぬしなら得られる教訓もあろう。

三人は、ランプのまわりに集まり、静かに耳を傾けた。

【6】井戸に落ちた犬 【イソップ寓話】

ふく翁は、ページをゆっくりめくると、その一節を読み上げた。

ある日のこと。

一匹の犬が、うっかりして井戸の中へ落ちてしまった。
犬は水をかき分けながら、
「誰か助けてくれ!」
と必死に吠えていた。

そこへ、一匹のキツネがやって来た。
キツネは井戸のふちから犬を見下ろして、こう言った。

「お前はどうして、そんなところへ落ちたのだ?
もっと気をつけて歩いていたら、
こんな目にはあわなかったものを。」

すると犬は、怒って叫んだ。

「そんなことは、落ちる前に言ってくれ!
いま必要なのは、お説教じゃない!
ここから引き上げてくれる、手のほうだ!

ホップは、自分のさっきの姿を思い出して、思わず苦笑いする。

ホップ
ホップ

うわぁ……
さっきの、ぼくとそっくりだ……

ミミは、ぎゅっと手を組んだ。

ミミ
ミミ

キツネさんの言ってること、
たぶん正しいんだけど……
それだけだと、かなしいね……

ムアは、少しだけ目を伏せた。

ムア
ムア

俺も、そのキツネみたいだったってことか。

【7】ふく翁のまとめ──「正しさ」と「行動」

ふく翁は、本をそっと閉じた。

フクオウ
フクオウ

正しさそのものは、悪いものではない。
むしろ、大切な道しるべじゃ。

じゃがのう──

誰かが井戸に落ちておるとき、
落とし穴から出られずに困っておるときは、

「なぜ落ちたのか」よりも先に、
「どうやって引き上げるか」を考えるほうが、
心に届くことも多いのじゃ。

フクオウ
フクオウ

後から考える落ちた理由よりも、見えない先に進む勇気の方が大事な場面もあるからのぉ。

少し間をおいて、ふく翁は三人をゆっくり見回す。

フクオウ
フクオウ

今日、お主たちはちゃんと、
ホップに手を伸ばした。

ムアよ、お主も最後には、
枝を持って戻ってきたじゃろう。

それが何よりの「正しさ」なんじゃよ。
言葉だけでなく、「行動で示した」とな。

ムアは照れくさそうに笑った。

ムア
ムア

……まあ、次は、もっと早く動くさ。

ミミは、ホップの袖をそっとにぎる。

ミミ
ミミ

ホップも……
あんまり走りすぎないようにしようね。

ホップ
ホップ

う、うん。
でも、困ったときは、またみんなの手を貸してほしい!
ぼくもみんなが困った時は絶対助けるから!

ふく翁は、ランプの灯りを見つめながら、静かに言った。

フクオウ
フクオウ

ほっほ。
人の困りごとの前では、
正論よりも、まず「手を差し伸べる行動」じゃ。

そのあとに、そっと「正しさ」を分かち合えばよい。

そうすれば、今日の出来事もまた──
味わい深い物語になるのじゃ。

ランプの灯りが、三人の顔をあたたかく照らしていた。

ふく翁−フクオウ−
ふく翁−フクオウ−
〜百歳以上の森の賢者〜
Profile
長年さまざまな動物たちの“人生の話”を聞き、本として残してきた語り部。 物語や人生には語り継ぐべき教訓があると信じている。 信念を同じくする “伝記作家” と出会い、 いまは一緒に「世界中の誰もが自分の歴史を残せるようにする」という取り組みを進めている。
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