第24話:ミミと、名もなき怖さ〜『虎と乾柿』〜
【前置き:『虎と乾柿(ほしがき)』とは?】
この物語は、
韓国に古くから伝わる有名な昔話
『虎と乾柿(호랑이와 곶감)』 を参考にしています。
山から下りてきた虎が、
人間の子どもを怖がらせようと、
そっと家の外で様子をうかがっていると――
中から聞こえてきたのは、
「泣き止まないと、乾柿をやるよ」
という声でした。
そして虎は――
【1】夕方の森と、“怖さ”
夕方の森は、まだ明るいのに――どこか“息をひそめている”ようだった。
木々の間を抜ける風が、いつもより冷たく感じる。小鳥の声も少ない。
気配に敏感なミミは、足を止め耳を澄ませた。
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……ねえ。今日の森、少し変じゃない?
ホップは前を向いたまま、元気よく言った。

えー? ぜんぜん! ほら、早く行こうよ!
ふくおうじいちゃんのとこ!
ムアは半目で周りを見回し、肩をすくめる。

変に見えるだけかもしれない。
疲れてるんだろう。
ミミはうなずきながらも、胸の奥が落ち着かなかった。
“何かがいる気がする”。でも、何がいるのかは分からない。
【2】茂みの音
三人は、森の奥の「記憶書庫」へ向かう小道を歩いていた。
いつもの道のはずなのに、ミミは一歩ごとに確かめるように進んだ。
そのとき――
「カサ…」
左の茂みが揺れた。
ミミの体が、きゅっと固まる。足先まで冷えるような感覚。
耳が、音だけを拾いにいってしまう。
ホップがすぐ反応した。
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なに!? だれ!?
ぼく、見てくる!?
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だ、だめ!
ミミの声は、思ったより強く出た。ホップがびくっとして振り向く。
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ど、どうしたのミミ?
ムアが一歩、ミミの前に出た。

このあと記憶書庫に行くんだ。
早く行こう。別に何もないさ。
そう言って、落ちていた小枝を拾い、茂みに向けて軽く投げた。
パサッ。
……何も出てこない。
ホップは口を尖らせた。
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ほらー! なにもいないじゃん!
しかし、ミミの胸がざわめきはまだ続いていた。
【3】想像がふくらむ
三人が歩き出すと、また――
「カサ…カサ…」
今度は、道の右側。しかも、少し近い。
ミミの喉が乾く。頭の中で、“よくない想像”だけが増えていく。
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……この音、、、
(大きな獣だったら?)
(誰かを襲うものだったら?)
(ホップが飛び出していったら……)
ミミはホップとムアに言う。
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みんなで歩幅を合わせていかない……?
不安そうなミミを見てホップは、笑って言う。

よし!
じゃあ、歩幅を合わせていっしょに行こう!
ムアは小さく息を吐いた。

……どうしたんだミミ?
いつもの道じゃないか。
ミミはうなずいたが、足取りは重い。
三人は寄り添うようにして、歩幅を合わせた。
【4】記憶書庫の灯りと、心が戻る瞬間
やがて、木々の隙間から古い木造の小さな館が見えてきた。
記憶書庫だ。
その瞬間、ミミの肩が少しだけ落ちた。
書庫の扉を押すと、乾いた木の音がして、温かい灯りがこぼれた。

ほっほ。よい匂いがするのぅ。
奥の机で、ふく翁が湯気の立つ“記憶茶”を用意していた。
丸メガネの奥の目が、ゆっくり三人を見つめる。

ねえねえ、ふくおうじいちゃん!
ホップが駆け寄る。

来る道でさ、なんか“カサカサ”って音がしてさ!
ミミは自分の胸に手を当てた。まだ少し速い鼓動。
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……わたし、少し怖かったんです。
いつもの道なのに。
ふく翁は笑顔でミミの話しを最後まで聞いた。
【5】ふく翁の言葉と、“怖さの正体”

ほっほ。ミミや。
“怖い”というのはのぅ、弱さではない。
正体が見えぬものに、心が備えようとしておる証じゃ。
ムアが腕を組んだまま言う。

でも、正体を見れば怖くなくなるのか?
怖さは想像の問題で、現実は関係ないこともあるだろう?
ふく翁はゆっくり、羽根ペンを机に置いた。

よい質問じゃ、ムアよ。
“正体を知れば消える怖さ”もあれば、
“知っても残る怖さ”もある。
そして、ふく翁は小さく笑った。

じゃがの。今日のミミの怖さは――
きっと、“知った瞬間”に形が変わる類いじゃ。
ミミは、目を丸くした。
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……形が変わる?
ふく翁は窓の外を見た。森はもう、夕暮れに沈みはじめている。

ほっほ。
韓国という国の昔話にちょうどよい話がある。
ふく翁は古い本を一冊取り出し、ページをめくった。
古紙の匂いが、ふっと広がる。
「山から下りてきた虎がのぅ――」
『虎と乾柿』
※以下は韓国昔話・口承民話の『虎と乾柿』の、著者による意訳(現代語訳)です。
原典のストーリー構造を保持したうえで、読みやすく再構成しています。
昔々、人里離れた山奥に、一頭の大きな虎が住んでいた。
腹を空かせた虎は、ある晩、村へ下りていった。
虎:「このままでは飢えてしまう。今夜は何か食ってやるぞ。」
虎は家々の様子をうかがい、ある家のそばで足を止めた。
中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。
母親が言った。
「泣きやまないと、虎が来るよ。」
だが赤ん坊は、泣きやまない。
虎は戸の外で、にやりとした。
虎:「ほう。虎を出しても泣きやまぬとは。ずいぶん肝のすわった赤ん坊だ。」
母親は困って、また言った。
「泣きやまないと、虎が来るよ。」
それでも赤ん坊は泣き続ける。
虎はますます得意になった。
ところが、母親はふと思いついたように言った。
「では、干し柿をやろう。ほら、干し柿だよ。」
その瞬間――
赤ん坊の泣き声が、ぴたりと止んだ。
虎は耳を疑った。
虎:「……虎では止まらぬ泣き声が、干し柿で止んだだと?」
虎は急に、背筋がぞくりとした。
虎:「干し柿というやつは、俺よりも恐ろしいに違いない。ここにいては危ない。」
虎は、干し柿が来る前に逃げようとして、そっと外へ出た。
ちょうどそのとき、家の近くの牛小屋へ、牛泥棒が忍び込んできた。
牛小屋の中は真っ暗で、泥棒には何も見えぬ。
手探りで探していると、大きな背中のようなものに触れた。
泥棒:「いた、牛だ。」
泥棒はそう思い込み、勢いよくその背に飛び乗った。
――それは牛ではなく、逃げ込んだ虎の背中であった。
虎は、背中に何かがのしかかったのを感じて、震え上がった。
虎:「ひぃっ! 干し柿が、俺の背中にのった!」
虎は命がけで走り出した。
泥棒は泥棒で、突然“牛”が暴走したので必死にしがみついた。
虎は山へ、泥棒は牛を逃がすまいと。
恐ろしさと必死さが重なって、二つの影は夜道を駆け続けた。
やがて空が白み、泥棒は月明かりに虎の姿を見た。
泥棒:「うわっ、牛じゃない! 虎だ!」
泥棒はあわてて飛び降り、木に登って逃げていった。
虎もまた、背中が軽くなったのを感じて息をついた。
虎:「助かった……干し柿から逃げ切ったぞ……。」
そうして虎は、二度と村へ下りてこなくなったという。
【6】ミミの胸に残ったもの
ふく翁が本を閉じると、書庫の灯りが一段、やわらかく見えた。
ホップは目を丸くしてから、こらえきれず笑った。

ははっ!
虎ってそんなにビビるんだ!
ムアは腕を組んだまま、低い声で言った。
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ふふっ。
怖いのは干し柿じゃない。“知らないもの”だな。
……つまり、情報不足。
ミミは、笑えなかった。
笑うより先に、胸の奥が静かにほどけていくのを感じた。
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……(わたしも、同じだったんだ。)
(茂みの音が怖かったんじゃない。……“何か分からない”のが怖かった。)
ミミは小さく息を吐き、ふく翁を見る。
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……じゃあ、わたしが怖かったのも、干し柿みたいなものだったんですね。
ふく翁は、ほっほと静かに笑った。

そうかもしれんの。
正体が見えぬと、心が勝手に“虎”を作ってしまう。
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でも……もし本当に茂みの音が虎だったら?
わたしが怖がりだからそう思っちゃうのかな……
ミミが言うと、ふく翁はうなずいた。

だからこそ、“怖い”を否定せず、皆で歩幅を揃えて進んだのじゃろ?
怖さは消せぬこともある。じゃが、抱え方は変えられる。
怖くてもよいのじゃミミ。
三人は思った。
怖さは、恥じゃない。
一人で抱えて止まってしまうのが、いちばん危ない。
そのとき――
書庫の外、窓の向こうで。
「カサ……」
また、あの音がした。
ホップが立ち上がる。
ムアが目を細める。
ミミは一瞬だけ肩をすくめ――それから、ゆっくり言った。
「……今度は、みんなで。見に行こう。」
【7】正体を見に行く三人
三人は、書庫の扉をそっと開けた。
外はもう薄暗く、森は夜へと渡ろうとしている。
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……さっきの音、ここから近いよね。
ミミはそう言いながらも、足を引かなかった。
ホップは少しだけ慎重になって、ミミの隣を歩く。

ぼくもいきなり飛び出さないよ。
ムアも周囲の確認をしながら、二人を見守るように一緒に進む。
三人が並んで進むと、
あの茂みが見えてきた。
「カサ……カサ……」
ミミの心臓が、一度だけ強く鳴る。
けれど、足は止まらなかった。
ホップが小さい声で言う。

……行くよ。
ミミは、うなずいた。
ムアがそっと小枝で、茂みの根元を押し分ける。
――その瞬間。
「ピィッ!」
小さな声とともに、
丸い影がぴょん、と飛び出した。
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……え?
そこにいたのは、
落ち葉に埋もれて動けなくなっていた、
まだ羽の生えそろわない小鳥だった。
小鳥は驚いて羽ばたいたが、
すぐにまた、よろよろと地面に落ちた。

なーんだぁ!
小鳥じゃん!
ホップが思わず声を上げる。
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(……虎じゃなかった。)
(でも、それ以上に……)
ミミは、胸に手を当てたまま、深く息を吐いた。
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……分からなかっただけ、だったんだ。
ムアは静かにうなずく。
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小鳥だったのか。
正体が分かれば、恐れは“情報”に変わるな。
ミミは小鳥のそばにしゃがみ込み、
そっと落ち葉をどかしてやった。
小鳥はしばらく震えていたが、
やがて小さく鳴いて、近くの低い枝へ跳ね上がった。
森は、さっきよりずっと静かだった。
【8】ふく翁のひと言と、ミミの中の変化
三人が書庫へ戻ると、
ふく翁は何も聞かず、ただ湯飲みを差し出した。

……どうじゃった?
ミミが答えた。
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小鳥でした。
でも……それよりも、わたし――
ミミは少し考えてから、言葉を選んだ。
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怖かったのは、音じゃなかったです。
“分からないまま”にしていたこと、でした。
ふく翁はとぼけたように笑顔で笑う。

ほっほ。
小鳥じゃったのか。
ホップが首をかしげる。

じゃあさ、怖いものって、全部見に行けばいいの?
ふく翁は、首を振った。
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すべてではない。
じゃがの、“確かめられる怖さ”を放っておくと、
心は勝手に虎を育ててしまう。
ムアが静かに言う。
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「想像は、現実よりも速く膨らむ」、か。
ミミは、うなずいた。
(わたしは、これからも怖がる。)
(でも――)
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……怖いって言っても、いいんですね。

もちろんじゃ。
怖さは、弱さではない。
ふく翁は、穏やかに答えた。
ミミは、胸の奥が少しあたたかくなるのを感じた。
森の外では、夜の音がはじまっている。
けれどそれは、もう“正体のない怖さ”ではなかった。

ほっほ、よい学びじゃのう。
恐れは、知らぬときに最も大きく育つものじゃ。


ほっほ。
おぬしの人生を聞かせてくれんか?

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